仮想化のまだ遠い未来の中で
「仮想化のもたらす『解放』と『自由』」で想像する未来では、例えばデスクトップ環境とは、当然のようにヒューマンインターフェースだけを持つ端末からアクセスする仮想デスクトップを指すだろう。サーバ環境とは、当然のようにデータセンタ上で稼働している仮想サーバのことだろう。
例えば僕はCGI開発者だ。自宅から、まず仮想デスクトップにアクセスする。そしてCGIの開発を始めるために、Webサーバをパワーオンする。このサーバは、仮想サーバとしてこの瞬間に生成されるらしい。そしてCGIにインターフェースさせようと考えている、OpenIDサーバ、LDAPサーバ、メールサーバをパワーオンする。これらを仮想ネットワークで接続すれば、インスタントな僕だけの開発用ネットワークが出現する。すべてスイッチ操作一つだ。パチン。
そして開発が完了したら、CGIの動作する仮想サーバをインターネットサービスプロバイダにデプロイし、アプライアンスマーケットに登録する。そして、開発ネットワークをパワーオフするのだ。パチン。これで全部消え去って、僕のデスクトップ環境がどこかクラウド上のストレージに残っているだけになる。
おそらくこんな未来は来るだろう。デスクトップもサーバも、スイッチをパチンと入れた瞬間にクラウド上に仮想マシンとして生成され、パチンときった瞬間にて仮想マシンが消滅する、誰もマシンを持たない未来。企業でさえマシンを持たない、コンピュータリソースは社会インフラから供給される世界。
ガートナーのハイプサイクルによれば、今、クラウドコンピューティングは「過度な期待のピーク期」の、しかもピークの頂点にある。その高揚が見せさせる夢、と言われるかも知れない。あるいはそれは50年も机上を脱しなかったユーティリティコンピューティングに、まだ賞味期限があるのかと言われるかも知れない。そして技術は成熟したかも知れないが、その実現を阻む障害は人間なのだ、例えば個人はクラウドを利用しても、企業はライフラインをクラウドに預けないということだ、というかも知れない。
でもそんなことはない。今、電気を買わずに電力をすべて自家発電で賄い、銀行を使わずフローをすべて現金で社内の金庫に管理している企業がどれだけあるだろう?結局のところ、リソースというのは究極のコモディティだ。安定的に十分なだけ供給されれば、そちらが利用される。リソースというべきか微妙だが、電気どころか企業にとって究極のライフラインコモディティであるキャッシュの扱いですら、企業は社会インフラに任せている。
そしてユーティリティコンピューティングは、たしかに50年も机上を脱さなかったが、社会に不要と審判を下されたわけではない。まず机上を出て審判を受けるために必要な、クラウドというインフラ、その要素技術である仮想化の成熟を待っていたのだ。50年かけて机上を出るという点では、まず仮想化こそが50年も前からあって今実用化したものなのだ。ハイプサイクルでは、クラウド・コンピューティングを主流が採用するまでに、2~5年はあると予想されている。ユーティリティコンピューティングが審判を受ける日はその先だ。しかしまだ遠い未来の中だけど、審判の場に立つところまではもう確実に辿り着くと思う。