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Web 2.0コンサルタントDion HinchcliffeによるEnterprise 2.0の2007年の修正コンセプトを、彼のZDNet.comブログのエントリ「The state of Enterprise 2.0 | Enterprise Web 2.0 | ZDNet.com」で見つけた。2007年11月とかなり前の話だが、ググってみても日本語でSLATESを説明している記事などは見つかるが、FLATNESSESを取り上げているものは見つからなかったので紹介しておく。
本文中にあるように、Andrew McAffeeがEnterprise 2.0を提唱した際の論文「Enterprise 2.0: The Dawn of Emergent Collaboration」で、彼は「知的労働者の行動とアウトプットを可視化するためのプラットフォーム」をEnterprise 2.0と命名し、このプラットフォームが担うべき機能として、SLATESというコンセプトを掲げた。これは以下の頭文字をつなげたものだ。
- Search(検索)
- Link(リンク)
- Authoring(文書化、発表)
- Tagging(タグ付け、分類)
- Extensions(拡張、たとえばリコメンドなどを介してによって他者の思考や活動を刺激する)
- Signals(通知、RSSフィードなど)
私が「Enterprise 2.0 : 社内Wikiの目的」に入れた図は、これが機能する一連の流れの、一パターンを想定したものだ。2007年8月のプレゼンを聞いてくれた人は、この図の隠れているオレンジの丸にSLATESの各単語があったことを覚えているかも知れない。2007年11月のHinchcliffeのブログエントリでは、この6つ(※)に以下の4つを追加して、FLATNESSESという改定案にまとめられている。
- Freeform(非定形)
- Network-oriented(ネットワーク指向、ウェブベースであることと、再利用可能でアドレス(URLなど)で指し示せる小片指向であることの2つを指す)
- Social(ソーシャル、非階層的で透明性の高いもの)
- Emergence(創発)
非定形であることについては、グループウェアとのすみわけを考える上で、常に意識にあった。ツールとしてのウィキ(しばしば一人ウィキ)を使う理由は、しばしばここにある。グループウェアのようなWell-formedなツールにそぐわない情報の受け皿、あるいはWell-formedなツールを作るためのプロトタイピングとして、ウィキは有用だ。創発は、最近のこうした分野の話ではしばしば取り上げられる注目の話題でもある。Network-orientedであることの必要性はウェブユーザの多くは自然に頷けるだろうし、Socialとあわせて「言わずもがなだけど、あえて指摘するのも悪くない」と思う。
つまり、私個人としては、総じて「SLATES」の修正版である「FLATNESSES」をEnterprise 2.0のコンセプトとして受け入れるのに異論はない。ただ会話中に時々、SLATESですら各要素が何だったかを思い出せなくて困る(特にExtension)。FLATNESSESとなると、そんなことがますます増えそうなのは心配だ。
※AuthoringがAuthorshipと改められているが、ここでは同等のものとみなした。
シンクライアントは死んだが話題になっている。
今日、IT業界の著名なコンサルタントである、日本IBM出身のK社のNさんのオフィスにお邪魔してた。(略)Kさんは開口一番、「シンクライアントは死んだね」とおっしゃった。
値段が下がらない、家に仕事を持って帰れない、サーバに負荷がかかる、既存パソコンを排除できない、そして不況、を挙げる。その上で、既存のパソコンのセキュリティーレベルを挙げれば済むことだと切って捨てる。
IT業界来し方行く末 > シンクライアントは死んだ : ITmedia オルタナティブ・ブログ
同じくITmedia オルタナティブ・ブログでも、これに言及したエントリがいくつかある。「代替案のある生活 > シンクライアントの使い方」では上記のエントリを「片貝さんのうまいアンチテーゼ的なブログ」のおかげで、と切り出し、シンクライアントの気に入っている点を挙げている。「平凡でもフルーツでもなく、、、 > 友人が個人情報漏洩から職を失った経験のある立場としてはシンクライアント賛成派です」ではその安心感に言及し、「『ビジネス2.0』の視点 > シンクライアント使っています」ではシンクライアントとパソコンを比較して長所短所を明確にした上で、「企業の文化や取り巻く環境などによって、シンクライアントの是非は分かれるところかと思われます」と締めている。
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なるほど、シンクライアントの良さは分かる。でも、だったら「既存のパソコンを排除」できる世界を思い描いたらいいじゃないか、と直感的に思った。特別な環境を除けば、エンドユーザコンピューティングの全てがシンクライアント方式である世界。
エンドユーザコンピューティングを、「エンプロイ・コンピューティング」企業内を中心とした業務のためのコンピュータ利用と、「ホーム・コンピューティング」家庭を中心とした生活や楽しみに関わるコンピューティングに分けられると仮定してみる。彼らの議論は、「エンプロイ・コンピューティング」環境をシンクライアントで利用することの良さに終始している。でも「ホーム・コンピューティング」環境もシンクライアント化しちゃえば、とは言わない。
ホーム・コンピューティング環境もシンクライアント化しちゃえばいい。できるはずだ。例えば、Amazon EC2は仮想サーバ環境としてよく使われているが、本当の姿は純粋な仮想マシンだ。EC2上の仮想マシンをデスクトップ環境として使ったっていいはずだ。ローカルマシンと同じくらい快適に使えるとしたら、普段使いのデスクトップだってEC2上の仮想マシンでいい。そうなったら、普通の人が使う端末ってパソコンである必要はなくなって、シンクライアントを使うようになるんだ。
普段からシンクライアントを、何も考えず当たり前に使っていれば、仕事だってシンクライアントですることが普通だとみんなが思うだろう。全てのエンドユーザコンピューティングをシンクライアント化する。それができた時、先進的な普通の人がシンクライアントを使い始め、その後でキャズムの先にいる普通の普通の人たちも、シンクライアントでコンピューティングするようになる。それが、「既存パソコンが排除」された世界。多分企業だけをシンクライアント化した先には来ない未来だ。
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現時点では、そんなにクラウドの向こう側のマシンを信頼できない(たとえばEC2はトラブル時に環境が失われる)し、多くの人にとってはそんなに信用もできないんだろう。もちろん、一般家庭でネットワーク越しにデスクトップ環境をすいすい使えるほどには、まだそこまでブロードバンドも太くない。
でもありうる未来のはずだ。ネットワークインフラから仮想マシン環境、信用や信頼を担保する仕組み作り、そしてホームコンピューティングが仮想マシンを選ぶ破壊的価格体系の実現。今のシンクライアントの想定利用方法や価格体系などを、一度殺すぐらいのことになる。それが行われれば、シンクライアントの世界は来ると思う。それは、クラウド化する世界がいずれ迎える、ごく正常な姿だと思うから。
Googleが携帯をGoogleにとっての良い端末にするために無償のOSまで公開したように、この大ナタを振るうのはそれを必要とするシンクライアント事業者や、あるいはクラウドのホスティング業者なんだろうな。それが行われなければ、「シンクライアントは死んだね」と言われたとおりになる。それが行われたならば、今のシンクライアントは死に、シンクライアント化したコンピューティング世界へと再生する。
どちらにせよシンクライアントは一度死ぬんじゃないか。滅亡に至って死ぬのか、再生に向けて死を遂げるのか。そこを選択するタイミングなのだ。全くの門外漢、一連のエントリを読んだだけでの感想だけど、そう思った。
Googleが日本でもストリートビューを開始した。以下、ITProの記事から。
グーグルは2008年8月5日、地図サービス「Googleマップ」上で新しいサービス「ストリートビュー」を開始した。地図上の道路をクリックすると、そこを中心とした周囲の写真を見ることができる。Googleマップではすでに衛星写真を公開しているが、ストリートビューでは人の目線の高さから見た写真を公開する。すでに2007年5月から米国を対象としたサービスを提供しており、今回、日本を加えた。
グーグルが「ストリートビュー」日本版を開始、特定地点の360度パノラマ写真を公開:ITpro
知っての通り、Googleは「この世のすべてを検索可能にする」を目標に挙げている。検索するには「この世のすべてを調べ上げる」こと(≒インデクシング)が必要だが、もう一つ、検索結果を伝えるためには「この世のすべてを指示可能にする」が必要だ。インターネット企業にとって「指示可能にする」ということは、URLを与えること、リンク可能にすることと同義だろう。
日本でのストリートビュー開始は昨日だが、今朝、tokuhiromがwassrでこうつぶやいている。
maps.google.com の新着ブクマをみるといい
tokuhirom - Wassr [お気軽メッセージングハブ・ワッサー]
本当にそうだ。maps.google.comの新着ブクマをみるといい。みんなが実空間をブックマークしている。「ここにこんなものが」とみんながURLで指し示し始めているのだ。ストリートビューの目の細かさ、写真と地図という見せ方、その中で移動できるインタラクティビティ。単なる地図や座標ではなく、実空間を感じさせるURLがここにある。
Googleが実世界、すくなくとも実空間をリンク可能にしつつあることを実感させられた。そうすると次は実時間?例えばこのメッシュの細かさで、仮にニュースなどから構築する世相と、ライフログから構築する体験を、一つのタイムラインにまとめられたら実時間を感じさせるURLが生まれるだろうか?それをGoogleは実現するだろうか?
実世界を感じさせるURL。数値化された世界じゃない、実世界を感じさせるURL。ひとまず、脱帽だ。
Lococom、Home'sを運営するネクストが『「SNS・コミュニティサイトで行動範囲や知識が広がった」人は、4割を超える。』という調査結果を公開している。全国の都市部在住のSNS、コミュニティサイト利用者男女を対象に調査を行ったものだという。この調査結果も読みやすく、また「SNSの足跡機能、監視されているようで嫌」が半数 - ITmedia News」などの関連記事も出ているので、概要や詳細はこれらに譲る。
個人的におやと思ったのは、2ページ目の「SNS・コミュニティサイト・地域情報サイトはどのような場であるのか」という結果だ。下位に目を向けると、「発表の場」「発信の場」「広告・宣伝の場」といった選択肢が並び、15.3~6%がこう答えている。簡単な統計だが、それぞれにYesと答えなかった人の割合を出し、掛け合わせることで、すべてにYesと答えなかった人の割合を算出してみよう。
| YES | NO | |
| 自分自身の趣味や思想の発表の場 | 15.3% | 84.7% |
| 自分自身に関する情報の発信の場 | 14.8% | 85.2% |
| 自分自身の日々の生活の発信の場 | 14.6% | 85.4% |
| 広告・宣伝の場 | 6.0% | 94.0% |
| 何らかの発信の場 | 57.9% |
すべてにYesと答えなかった人は、おそらく57.9%という数字が出てくる。逆にいえば、これらを何らかの発信の場だと考えている人は、42.1%もいるということだ。眉つばくさい?じゃあ、Yesと答えた人がすべて重なっているとすれば15.3%、適当に散らばっているとすれば42.1%と言いかえよう。15.3%から42.1%ぐらいの人が、SNSなどを何らかの発信の場と考えているということだ。
こうしたソーシャルメディアについては、よく聞く「90:10:1」という経験則(日本では1:9:90の法則と紹介されていることが多い)がある。左記のブログ記事によれば「80/20のルール(パレートの法則)のようなもので、利用者はだいたい次のように分かれる」という。
- 90%が読むだけ(consume content)の閲覧者
- 10%がコメントや追記、加筆(enrich content)する参加者
- 1%がコンテンツの投稿(create content)もする発信者
もちろん、経験則だから厳密に「閲覧者が90%か」とか「発信者が1%か」とか「論拠となるデータは」というようなものではない。そういうものではないのだけど、ネクストの調査結果から浮かんでくる「少なくとも15.3%、おそらく42.1%にとってSNSなどは発信の場」という数字は、経験則から来た「発信者は約1%」という数字とは、明らかに隔たりがある。
もしかすると、日本のソーシャルメディアの特性なのかもしれない。あるいは、携帯コミュニケーション慣れなどの追い風があるのかもしれない。逆に、発信意欲のあるような先進ユーザしか、SNSなどを使っていないのかもしれない。背景は分からないが、日本のソーシャルメディアは「90:10:1」を超えているようにも見える。
Wiki飯(3月)に行ってきた。ここ3回、出席しているのだけど、Wikiそのものの話よりCGM全般の話が多いかな。
- 本当のオタクが減ってる気がする。例えばコミケが「オタクが発表する場」じゃなく「オタクが買い物に行く場」になっている。今、創作しているオタクは、昔から創作してた層が中心なのでは?
- さまざまなツールでライトに創作している層は広がったけど、ハードコアに創作している人が少ない。
- CGMでは「誰でも創作できます」なんて言ってるけど、ある頃からいきなりライトなクリエイターは姿を消すかもしれない。
- 今のCGMって、量的な評価の仕組みは確立してるけど、質的な評価(と報酬)の仕組が弱い。
- 実際のところ、金銭的報酬というのは、インセンティブとして強い。
Wikiを長くやっていれば、お金以外のところで書いてくれる人が少なくないと実感する。でも改めてこう言われると、クリエイターが発表の場を選ぶ時、報酬の有無、評価と報酬の相関の有無って、意思決定要因として大きいこともわかる。やっぱり、質を自負するクリエイターは、質を評価されやすく、質で報酬が決まるメディアに流れるかなとは思う。全体ではないにせよ、比較的多数は。
コンテンツに対する報酬のモデルって、(1)自分の感じた価値に対して、作品を受け取った人自身が対価を支払う、(2)作品と一緒に届けられた広告の数に応じて、広告主が広告費用を支払う、がすぐに思いつくけど、Web上では(1)が弱いのかな。AMNのパートナーブログや、livedoorニュースのパブリック・ジャーナリストはこうした質の評価の試みだと思う。でもカテゴリとか席数はまだ足りないのかもしれない。
ただ、こういう場を作ることが、Web上においても次の焦点じゃないか、と指摘する声はある。
「いつでも、どこでも、だれとでも」、同じではない環境。つまり、「今だけ、ここだけ、あなただけ」になってこないと、サービスやコンテンツは、高い価値を持ってこないんだと思います。
大事なのは、エッジのたったユーザが人と違う行動空間が持てること。そういう人たちのニーズに応える思いっきり高品質な行動空間を作り上げること。次にそれを一般消費者にチョイ見せし、衒示的消費への誘惑に勝てない層に切り売りしていくこと。それが新たなサービスの基本的な価値創造パターンになるのではないでしょうか。
ベンチャーはどこへ行ったのか ~ ベンチャー支援の「5階層」:村上敬亮 情報産業の未来図 - CNET Japan
空間だけ独立してできるものじゃないし、コンテンツだけできても消費者に届かない。空間を創る人とコンテンツを創る人、それうまく出会わないとこうした「場」が出来上がらない。でもこうして、各所で同じような思いを聞き、それぞれが行動していると、そうした出会いが起きる確率は日々上がってるんじゃないかな。新しいCGMの誕生と確立に期待したい。
物議をかもしたmixiの新利用規約第18条が、次のように改められた。
第18条 日記等の情報の使用許諾等
1.本サービスを利用して投稿された日記等の情報の権利(著作権および著作者人格権等の周辺権利)は、創作したユーザーに帰属します。
2.弊社は、ユーザーが投稿する日記等の情報を、本サービスの円滑な提供、弊社システムの構築、改良、メンテナンスに必要な範囲内で、使用することができるものとします。
3.弊社が前項に定める形で日記等の情報を使用するにあたっては、情報の一部又は氏名表示を省略することができるものとします。
4.弊社が第2項に定める形で日記等の情報を使用するにあたっては、ユーザーが設定している情報の公開の範囲を超える形ではこれを使用しません。
MySpaceのいっそ愚直なほどの明確さに比べると、まだ各ニュースサイトが「明記した」というほど、何をして何をしないのか明確ではない。ただ、「mixi規約改定と各社blogサービス等の利用規約 - itohb-mark の日記」を読んでいて、日本のサービスで言う「規約」は、実は法的な規則であることよりも、利用者との合意形成を目的とした宣言に近いのかな、と思った。「Don't be evil.」のような。そう考えれば、十分に気持ちよく合意できる内容になっていると思う。
ところで、今回の新利用規約改稿についてのブログエントリを読んでいて、次のくだりに興味を持った。
mixiそのものがコミュニケーションサービスなので、内部にこの問題を考えるコミュニティができて、様々な議論が行われ、問題意識を持つユーザーの間ですみやかに共通認識が形成されていった。その速度に、運営側が振りまわされたという印象である。おそらく運営側が突っ張り続ければ、ユーザーがどんどん退会していく事態となったろう。なにしろ関連コミュでは、mixiが態度を変えなかった場合に備えて、どこに引っ越すかという情報まで交換されていたから。
松浦晋也のL/D: mixiから新規約案出る (一部の強調表示は筆者による)
今回の展開では、ユーザー間で共通認識が形成される速度に、企業がついていけていなかったのでは、という。1999年の東芝クレーマー事件のような「個人の問題認識が広く知られる速度に、企業がついていけていない」から、さらに一歩進んだ速度の乖離がある。
(1)個人が問題認識し、発信する。(2)発信が多くの人に伝わり、問題提起となる。(3)ユーザ間で対話が行われ、共通認識が形成される。東芝クレーマー事件は、この(1)と(2)の間で企業が手を打つという困難になったことを明らかにした。これが(2)に対し一つ一つきちんと対応すること、(3)の早い段階で、問題点や対応内容などを自ら公報し、対話に企業自身が参加することを促した。
今回の例では、(2)と(3)の間にすら企業が参加できなかったのでは、と指摘されている。(2)が起きてから、調査や対応を済ませる前に、(3)まで終わっていた。1999年には予想を超えた(2)伝達の速度に、そして2008年には(3)対話の速度に、企業は置いていかれたのかもしれない。もう「解決後に公報、公報後に対話参加」では間に合わなくなったのだ。
対話の場に出向くようなスタンスでは間に合わないから、企業が普段からオープンな対話の場になるユーザコミュニティを作っておく。「調査中につきノーコメント」では間に合わないから、調査者自身が調査経過を、関係者自身が自身のスタンスを、当然「現時点では」「個人的には」でよいから発言するつもりで、最初から対話に参加する。そんな変化が促されるのではないかと思う。
mixiは前者「オープンな対話の場になるユーザコミュニティ」を持っていた。それは今回、幸いになったんじゃないかな。
mixiが4月1日より試行するとアナウンスした新利用規約に、以下のような条項が盛り込まれたことが、議論を呼んでいる。
第18条 日記等の情報の使用許諾等
1. 本サービスを利用してユーザーが日記等の情報を投稿する場合には、ユーザーは弊社に対して、当該日記等の情報を日本の国内外において無償かつ非独占的に使用する権利(複製、上映、公衆送信、展示、頒布、翻訳、改変等を行うこと)を許諾するものとします。
2. ユーザーは、弊社に対して著作者人格権を行使しないものとします。
この件について、mixiが意図説明を行ったことを各社が報じている。以下、ITmediaの記事から抜粋する。
「ユーザーのmixi日記が勝手に書籍化されるのではないか」――ネットで騒動になっていたmixiの規約改定について、「ユーザーの了解なしに書籍化などは行わない」と明言し、改定の意図を説明した。
「mixi日記、無断書籍化はしない」――規約改定の意図をミクシィが説明 - ITmedia News
(1)投稿された日記データなどをサーバに格納する際、データ形式や容量が改変される(ユーザーの著作者人格権《同一性保持権》を侵害する)可能性がある
(2)アクセス数が多い日記などは、データを複製して複数のサーバに格納する(ユーザーの複製権を侵害する)可能性がある
(3)日記などが他ユーザーに閲覧される場合、データが他ユーザーに送信される(ユーザーの公衆送信権を侵害する)可能性がある
――など、厳密に著作権法を適用した場合に、ユーザーに無断で行うと法に抵触しかねないデータの複製や改変について、規約で改めて規定した、と意図を説明した。
「mixi日記、無断書籍化はしない」――規約改定の意図をミクシィが説明 - ITmedia News
これらを踏まえて、『ミクシィは、著作者人格権の不行使を求める規定を反発は予想した上で第2項として盛り込み、第1項を「実」として獲得するための"見せ球"としたと考えることもできる。実際、第1項さえ実施できれば、前述のような新サービスは可能になる可能性が高い。』と論じる記事もある。
しかしむしろ僕がゾクリとしたのは、mixiの規約改定意図を読んだ時だ。これを読むと、例えばサムネイルや文書のサマリを提供するようなWebサービスは(1)の問題を共通して抱えていそうだ。サーバのクラスタリングやロードバランシングを行っていれば、(2)に該当する。大容量のマルチメディア情報を扱うサービスなどで活用されている、Amazon S3などの利用も(2)にあたるだろう。そして(3)は、CGMは、全部引っかかりそうだ。
つまり、いまどきのWebサービスは大半が「厳密に著作権法を適用した場合に、ユーザーに無断で行うと法に抵触しかねないデータの複製や改変」をしているということだ。この著作権法の問題は、検索エンジンに関連してよく話される。「検索」と「情報大航海プロジェクト」について広く取り上げた「ウェブ国産力」から引用する。
グーグルが日本に検索エンジンのデータベースを置いていないのは、著作権の問題があるからです。検索対象がサーバに入ると複製になってしまい、現行の著作権法に抵触してしまう。
佐々木俊尚『ウェブ国産力―日の丸ITが世界を制す』佐々木俊尚 (アスキー新書 047)
しかしこのことは、他サービスからコンテンツをコピーしてくることになる検索エンジンに限った話ではない。コンテンツ作成者が、一次配布場所としてコンテンツを預けるCGMなどの中ですら起きることだ。ほとんどの国内に拠点を持つWebサービスがこのリスク下にあるのだ。mixiがそのことを、改めてはっきりと説明したのだ。
そう説明したことに、mixiに非はない。でも、一騒動になったことを含め、藪をつついた感はある。思いつく最悪のシナリオはこうだ。これを機に、国内のWebサービスが軒並みこうした規約を掲げる。みんながこうした規約になんとも思わなくなったところで、ユーザの意図と異なる再配信などを濫発するサービスが現れる。
そしてかつてP2Pが忌避されたように、国産Webサービスの忌避が起こる。会社のIT教育ではこう言われるのだ。「リスクを避けるために、日本国内サーバを利用するサービス、日本法下で提供されるサービスは使わないようにしましょう。国産Webでは彼らの良心以外に彼らを縛るものはないのですから。」
もちろん、これは「ものごとは悪く捕らえれば際限がない」式の想像だけど、でも自分でWebアプリケーションを作ったり、Webサービスを作ったり、あるいは利用していると、やっぱり気になることだ。mixiの良心は信じられるとしても、他のサービス提供者も全部信じられるのか?サービス提供者になった時、自分の良心はそこまでみんなに無条件で信じてもらえるか?
この国に住んでて、そうしたことをしようと思った時に、これはとんでもない枷じゃないだろうか。
GoogleのOpenSocialについて、一昨日、会社でもサロン風に議論しました。そこでもかなり様々な意見や議論が出たのですが、先ほど、3日のOpenSocial説明会関連の記事を通読して、一点、言及しておくべき点に気づきました。
同氏(Google社デベロッパーアドボゲートのChris Schalk氏)はまた、「Open Socialのキーエリアはインフラ的な部分。バリアを取り除くだけ」と語る。つまり、インフラ部分のAPI共通化することで、各SNSは独自色のあるサービス開発に注力できるというわけだ。
Open SocialはSNSに何をもたらすのか--グーグルがその可能性を語る:ニュース - CNET Japan
「バリアを取り除く」という言葉の真意は何でしょう?
現在のところ、SNSは既得ユーザー数が非常に大きな競争力の源泉でした。招待制が一般的なSNSで、成長機会はユーザー数に応じて幾何級数的に伸びます。ユーザーにとっての利便性は、機能以上にどれだけの友達がそのSNS内にいるかが左右します。これは囲い込み戦略が非常にうまく働く世界です。
Googleが取り除くバリアとは、この「囲い込み」という言葉の「囲い」です。ソーシャルグラフの世界において、ユーザー数が生んだ競争力をいちど無にしてしまおうよ、という提案をしているわけです。
誤解を恐れず言い切れば、OpenSocialの本質は「ソーシャルグラフが次のプラットフォームになる」ということである。もちろん、その手前でのオープン論やAttention論も無意味ではないのだが。
そこではプレイヤーとしてのGoogleの存在感はあくまで提唱者としての位置だし、TCP/IPの開発者V・サーフ氏がGoogleに在籍しています、という事実なんかとおよそ等価なものくらいでしかない。
Googleのソーシャルグラフ戦略 | 近江商人JINBLOG
OpenSocialの本質について、この記事を読んでなるほどと頷きました。そしてGoogle自身にとっての提案の価値も、実のところ会社でのディスカッションで「Facebookへの対抗として、OpenSocial陣営を作ろうとしている」という意見に「そうかもしれない、でも効果は疑わしいな」と、同様に考えていました。しかし今、プレイヤーとしてのGoogleにとって、OpenSocialの提案がもたらすものは、私はもっと別な意味を持つ、大きなものではないかと思います。
OpenSocialという提案は、ソーシャルグラフの世界でもっとも大きい競争力の源泉であった「ユーザー数」を、それほど重要ではないものにしてしまい兼ねません。独自性を、ユーザー数より圧倒的に重要な競争力にしてしまい兼ねません。短期的には、これはソーシャルグラフの世界での競争のルールを変えるのです。そしてルールが変わった時に、既存の勢力図は白紙に戻りすらするのです。
それが、Googleの競争力だけを目的としたものだとは断じません。むしろ勢力図が出来上がって身動きの取れない現状と、オープンなソーシャルグラフという理想像の断絶を感じて、“破壊者”として大鉈を振るおうとしているのだという方がGoogle的かもしれません。
もちろん、「競争ルールを変える」という想像からして、うがち過ぎや邪推かも知れません。しかし、もしこの想像が正しかった場合、この分野にいる人はすごく面白いタイミングを迎えようとしているのだと思います。例えば国内トップであるmixiは、現在の競技場での勝ち組でありながら、それを白紙に戻してしまう新しい競技場に歩を進めると決めたことになります。これはどれほど大変な決意だったでしょう。
今、私には分からないことが多すぎて、この話をまとめることができません。しかしこれまで単なるAPIの提案だと思っていたOpenSocialの可能性に、今ようやく、わくわくし始めています。本当に何が起こるのか、すごく、わくわくし始めています。
「ジンボ・ウェールズ公開インタビュー」では質問公募という形がとられていましたが、応募された中で採用されなかったものを見ていくと、次のようなものがあることが気になります。
- ja.wikipedia.orgのSysOpやコアユーザに対する(彼らにするのが適した)意見、質問
- SysOpやコアユーザたちは知っている、過去に議論されたりJimmy Walesらが思いを表明していたりする事項
今回の質問から、これらが削られたのは正しいと思います。ただ、一方でこうした質問が出たこと自体の意味は、考えておきたい気がします。
質問を投稿するような、一般の、でも活動意欲のあるユーザーでも、SysOpやコアユーザへの疑問を持っていることや、彼らとのコミュニケーションパスが切れていることが見えてきます。そして、Wikipediaという集団内のノウハウやコモンセンスが伝承、とくに口伝されていないことが見えてきます。
ルールは「すべてWikipediaに書いてある」と、彼らは言います(言われました)。でも、例えば法律はすべて法律書に書いてありますが、多くの法曹家は大学の講義や現場での補佐的な作業の中などで、口伝でエッセンスを学び、それを道しるべに法律書、判例集、その他を読み解いていったでしょう。
当日の懇親会では、SysOpやコアユーザ(だと見てよさそうな方々)からも、「Wikipediaって(仕組み、ルール、常識が)複雑だよね」という声を聞きました。同感で、Wikipediaもエッセンスの口伝が必要なぐらいには、様々な学問や組織のように複雑に見えます。
もっとSysOpやコアユーザが出てきて、非Wikipedianや新しいWikipedianと顔をつなぎ、言葉を交わす場があるほうが良いように思います。「"ja.wikipedian"って誰なんだ?」なんていわなくて済むぐらいに。Wikipediaエディタデビューセミナーとか、Wikipedia鑑賞会(読書会?)、SysOpによるWikiサイト運営実例セミナーなど、いろいろな機会がありえそうです。
私もそうした機会があれば(今のところ非Wikipedianとして)参加したいし、もし機会を作れるようだったら、作っていければと思います。
女性層へのスマートフォン不振、個人的にはスマートフォンが携帯電話ではないからではないかと思います。
Windows Mobileデバイス「X01HT」を2006年10月に発売したソフトバンクモバイルの端末マーケティング部 課長代理 片桐正道氏によると、X01HTを購入したユーザーの77%が男性だ。女性は14%で、残りは法人顧客。ユーザー層が男性に偏っている現状が分かる。(略)ソフトバンクモバイルは女性層への拡大を重要な課題と認識していて、3月16日にはX01HTのホワイトカラー製品を投入する。
女性がスマートフォンを使わない――各社が頭をひねる - @IT
マイクロソフトも女性の利用拡大を重視している模様で、説明会にはWindows Mobileデバイスを活用するSoins Phytoniqueプロデューサー 日下部知世子氏が登場。電子メールや資料作成に使っていることを説明した。マイクロソフトは2007年中にWindows Mobileデバイスを10製品まで拡大する見込み。製品の選択の幅を広げて女性を含めてユーザー層の拡大を狙う。
女性がスマートフォンを使わない――各社が頭をひねる - @IT
PDAやスマートフォンで、電車の中などで女性が使っているところをしばしば見たな、と思うのは、W-ZERO3[es]。X01HTとの大きな違いを挙げれば、オプションの契約プランなどは不要で、そのまま機種変更だけすれば使え、他の機種で使える機能を一通り使えました。
国内でのスマートフォンの当たり前品質は「キャリアの提供する主要機能は普通に使えること」だと思います。主要3キャリアであれば、SMS、写メール、ムービーメール、デコメール、ワンセグ受信。インターネットアクセスとキャリア向けサイトの利用。契約や料金プランで他の機種以上に悩まない。これが、国内スマートフォンの超えるべきボーダーだと思います。
そうは言っても、W-ZERO3[es]の前にW-ZERO3を見かけたかというとNO。良く聞いたのは、「これを耳につけて話すのは恥ずかしい」でした。W-ZERO3[es]は耳に当てられるし、普通にプッシュして番号を入れられる。「携帯電話の機能がある」と「携帯電話として操作できる」が両方大事だったのだと思います。W-ZERO3[es]の前に見かけたのはCLIE PEG-UX50でしたが、これは携帯電話ともう一台で持ち歩け、電車の中で使ってても違和感がないサイズやデザインだった、といったところかな?
携帯電話であろうとスマートフォンであろうと、本質はコミュニケータ。そして国内キャリアは、携帯電話にキャリアごとの公式サイトやメッセージング、写真や動画つきのメールなどのコミュニケーションルートをいくつも作ってきました。スマートフォンが携帯電話として売り出される以上、「携帯電話であること」は「標準」ではなく、欠くべからざる「当たり前品質」でしょう。
海外製のスマートフォンを持ってきて「そんな世界の片隅限定ルートが使えなくたって、世界標準のルートが使えるじゃないか」と言ったって、コミュニケーションが切れる時点でコミュニケータとしては欠陥なのです。